Indigenous 先住民の展示では土器などの考古学展示から先住民たちの暮らしや歴史をジオラマを中心に紹介しています。
カナダの先住民について簡単に説明するのはとても難しいです。言語や生活地域で分類してそれぞれの部族について解説しないといけないのでしょうね。
展示の写真と共にいくつかのトピックについて忘備録を兼ねて書いておきましょう。
平原に暮らしていた先住民の多くは狩猟民でティピーと呼ばれる移動式のテント住居で暮らしていました。実物大のジオラマでその様子が展示されています。バッファローの皮で作られたティピーは現代のキャンバス地のものに比べると小さいです。
アメリカ野牛(バイソン、またはバッファロー)は彼らの生活に欠かせない獲物でした。食料はもちろん骨や皮など余すことなく利用していました。
狩りの後に女性や子供が解体や保存食づくりを行いました。骨髄は彼らにとっては最高のおやつだったようです。
酸化しにくい脂肪分が多くあり、ビタミンやミネラルの豊富な骨髄は、貴重な食料でした。
肉は干し肉に加工されました。骨は、砕いて焼き石とバイソンの皮の鍋を使って煮出し、油を取りました。
ぺミカンは干し肉と干した果実などとこれらの脂肪分と混ぜて作られました。
季節ごとの生活の様子がミニチュアのジオラマで展示されています。
秋のジオラマにはバイソン狩りや解体の様子が表されています。
ちなみに冬のジオラマにはヘラジカの狩りの様子がありました。
毛皮交易の時代、1821年以前
毛皮交易の時代、1821年以降と番号条約の時代
1821年は、毛皮交易に関して長く対立していたHBCハドソン湾会社とフランス系でモントリオールに拠点を置くNWCノースウエスト会社がイギリス政府の介入により合併する年です。
この合併により、毛皮交易の拠点やルートが統合されました。ルパートランド(西部カナダ)における交易権がハドソン湾会社に統一されます。
1871年から1921年にかけてカナダ政府は先住民との間に11の番号の付いた条約を締結します。
ルパートランドをアメリカに占有されてしまうことを恐れていたカナダ政府はこれらの土地を実効支配する必要がありました。
この条約締結は、カナダ政府として入植、鉄道敷設、資源開発を法的に可能にするためです。
先住民としては、狩猟や漁労の権利を維持し、現金(年金)や保留地の確保、教育の支援を受けるためでした。
展示とは直接関係はありませんが、オレンジシャツデーのこと。
- 建国後のカナダは先住民の生活全般を政府が管理する法律を作ります。(1876 Indian Act)
- 1880年代には寄宿学校制度を本格化し、1920年には7歳から15歳の先住民児童を寄宿学校に入れることを義務化します。
- 1960年代から80年代には先住民の児童は強制的に保護され、白人家庭に養子に出されました。
- 1996年サスカチュワンにあったゴードン寄宿学校が最後に閉鎖されました。
- 1973年フィリス・ウェブスタッドはおばあちゃんに買ってもらったばかりの新しくてピカピカのオレンジ色のシャツを着て寄宿学校に入学しましたが、そのシャツは没収されて彼女のもとに戻ることはありませんでした。
- 2008年スティーブン・ハーパー首相によるカナダ政府の公式謝罪
- 2008年から2015年にかけてTRC(Truth and Reconciliation Commission 真実和解委員会)の調査により多数の証言が認められ、“文化的ジュノサイド”と結論されました。2013年にオレンジシャツデーが始まり、2015年に法定休日の制定が勧告されました。
- 2021年カムループスの寄宿学校跡地から215名分にも及ぶ無名の遺骨が発見され、世界中に衝撃を与えました。このことを受けて法定休日が設けられました。(National day for Truth and Reconciliation 真実と和解の日)
- 2022年ローマ教皇フランシスコは訪加の際に教会の加害を認め謝罪。
先住民文化の尊重、条約により権利を得た土地への謝辞などを明確に文章や言葉で表現することが行われています。